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 2月に入ってこのところ、記念日が多いようです。「夫婦の日」があったかと思うと、昨日は「肉の日」かと思っていたら「ふくの日」。肉の業界と下関漁協の争奪戦のようでした。


今日は何もないかと思っていたら、何と2月10日はっ、

「ふとんの日」ってラジオでやっていました。どうやら寝具業界で語呂合わせしたようです。まったく無理があると思うのですが、僕的には、「ふじゅうの日」、「普天の日」としか読めないのですが・・・









そして明日は、2月11日(土・祝)「建国記念日」、誰が何を言おうと、これは明確な国民の祝日です。この日の僕の楽しみといえば、「特集 鎌田 實いのちの対話」。奈良県橿原市より公開生放送でNHKラジオ第一放送(午前9時5分〜11時50分)を聴くことです。

いつものフィールドで、てくてく歩きながら聴くつもりです。











そういえば前回は、昨年の11月の沖縄県名護市からの公開生放送、

感激して泣きながらこの道を歩いたものです。今回はそんなことはないと思いますが、聴いてみないと分かりません。前回のテーマは、「娘からみた亡きお父さん」、今回のテーマは、「日本を考える」。
涙はなくても自分自身、何か得るものがあると思います。楽しみです。













この田んぼを見ていたら、「日本を考える」どころか、人間社会の中での「僕自身を考える」に見えてなりません。真っ直ぐ生きることは難しいようです。

明日時間がある方は、ラジオをポケットに入れ歩いてみませんか。
くどいようですが、NHKラジオ第1、午前9時5分〜11時50分、「鎌田 實いのちの対話」です。
 今朝出勤前の芸能ニュース、僕には特に関係ないことですが、
メイサ妊娠、赤西 仁と黒木メイサ電撃結婚へ・・・
どちらのファンにとっても衝撃的なニュースだったでしょうね。それは人気歌手と人気女優ですから。










なんら影響のない僕の脳裏をよぎったのは、

きっと、可愛い赤ちゃんが産まれるだろうな〜ということくらいでした。お二人の性格は分かりませんが、それはそれは何ら欠点の付けようがない誰もが認める美男美女です。僕には産まれて来る赤ちゃんに関心がありました。







関心といったら、

昨日の地元新聞の一面、この方がずっと関心がありました。どうやら、僕たちの万が一の時の避難先が決まるようです。











僕が住んでいる町は直線で30km圏内、緑の濃いところです。対象12万人の一人ということになります。同市内でも30km圏外の薄緑の部分はごく一部の方の避難先、ほとんどの方が広島県にお世話になることになるのでしょうか。一方、30km圏内に6万5千人が住むおとなり鳥取県では要救護者を除き、県内で避難者を収容する方針のようです。

しかし、これって先月島根原発はすべてが稼動停止したはず、再稼動をする前提で事故を想定した避難確保ということになるんですよね。国も今後の原発のあり方をどうするか決めていないのに、原発防災の避難先を、これから頭に入れて置かなければなりません。このままでは将来が見えてきません。

僕の尊敬する鎌田 實先生も、この点についてはとても危惧していらっしゃいました。
「やるならやる、やめるならやめる」、決断が付かない僕の性格と同じようです。

 先日、いつものラジオNHKを聴いていたら、報道写真家の樋口健二氏がゲストで出演していた。
わずか15分ほどの司会者との対談だったが、僕には強烈に心に響いた。そしてもっと詳しく知りたいとの想いで買った一冊の写真集。

「原発崩壊」と、タイトルも強烈だった。1973年、原発の建設立地計画の段階から現在までにいたるまで原発の歴史を写し撮ったものである。特に、そこで働く下請け労働者にスポットを当て、「原発被爆者」に視点があったので、福島第一原発の事故以来、僕のような読者や報道機関も衝撃を持って受け止めたようだ。


写真はほとんどがモノクロ写真だが、数少ないカラー写真には迫力がある。
すこし、抜粋させてもらうと、

原発内部は放射能の海だ。写真は定期検査中のドライウェル(炉心部)入口。場所によっては被ばく線量が高いため数分刻みで交代、一日千人以上の下請け労働者による人海戦術で仕事をする。
被爆は定期検査中がもっとも多い。(1977年7月、福井県敦賀原発)・・・とある。










日本列島の中でも過疎化の激しい秘境の地が原発立地に選ばれた。それは原発の宿命的な危険性があったからである。異様なドームは人間を拒絶し、2011年3月12日以来、恐ろしい牙をむいた。写真は、東京電力福島第一原発、左より1〜4号機。(1977年6月)・・・とある。








意外にも地元の見慣れた風景も、

電力会社一企業のために島根県警と松江、安来両署は機動隊30人を含む210人を動員して厳戒態勢をしいた。核輸送が危険であることを示す象徴的な光景でもある。(1981年11月、島根県松江大橋南詰)・・・とある。









一番衝撃的なことは、

放射線管理手帳には、びっしりと嶋橋さんの被ばく線量が記録されている。原発労働者の死にいたる証明である。この手帳が親元に戻ったのは死後一年も経過していた。亡くなった翌日、被ばく線量が改ざんされていた。(1995年3月、静岡県浜岡町の自宅で)・・・とあった。











筆者は最後に、原発の本質は何と言っても、弱者(下請け労働者)を犠牲(放射線被爆)にしなければならないということである。それを国家ぐるみで「絶対に安全だ」「核の平和利用だ」「CO2を出さないクリーンなエネルギーだ」「コストがかからない」「資源のない日本においては夢のエネルギーだ」などと理屈を並べ、そして極めつけには「安全神話」を押しつけ、国民を洗脳してきたのがこの40数年の原発の歴史である。

50万人にも及ぶ被爆者を生み出してもまだ原発を推進しようとする電力会社の姿勢や態度は、厳しく問われなければならない。目先の豊かさにおぼれ、日本の未来を考えない偽政者たちに、ぜひこの本を一読していただきたい。とも述べている。

僕が、10年ぶりに買ったこの写真集、「原発崩壊」。原発の「放射線管理区域内」の撮影と、その労働を撮ったカメラマンは後にも先にも、「樋口健二氏」しかいない。今でも、福島原発では数千人規模の下請け、孫受け企業の労働者が数分刻みで、終わりの無い冷却作業に従事していると聞く。
一方、電力会社の制服組の多くは、決して炉心に近づいて働くことは無いと思う。
これは、多くの人に見ていただきたい写真集である。
                                          2011年7月、合同出版より発刊



日は、我社の営業マンにとっては待ちに待った過酷な営業会議の日になった。
毎年一年を通じ、最も過酷な条件の一月を乗り切ればやれやれというところだが、閏二月も問題だ。
今日の会議も大半が未だ先行き不透明のままの意見が多い。


現状は明るい発言はほんの僅か、まだまだ自信がないのが本音である。先日も発表された大手電機メーカーの3月期決算の業績予想、〇〇〇〇億円の最終赤字。まったく桁外れの数字だ。
好調な時も とてつもない数字だが、不調な時も とてつもない数字である。




これに比べれば、僕ら中小企業者のこれくらいの先行き不透明感は、毎年訪れるささやかな悩みなのかも知れない。

今しばらく、体力温存の時かもしれない。こんな時こそ心が冷え切ったらお終いだ。
それには自分自身、「春になれば あれもしたい これもしたい ああなるようがんばりたい これも欲しい」等など、夢や希望や願望や欲望がものを言う。そのために、今は少しでも心を暖めていようと思う。こんな寒さぐらいで心が冷め切ってしまったら春を迎えられない。







ちなみに、今乗っている車が壊れたら、

僕の車の4倍の燃費である、世界トップクラスの燃費を誇る「アクア」に乗ってecoを体験してみたい。










若い頃から憧れていたスポーツカーも、

この春、「トヨタ86」と言う名称で、手頃な価格で発売されるようだ。どっちも乗ってみたい。

その時のために、今はもう少し心を温めていたい。

 皆様おはようございます。
立春の日の出雲地方は、8時現在の気温+2,5℃、風は冷たいものの昨日とは随分楽です。

どうやら、このたびの寒波は峠を越したようです。大雪に見舞われた地域のみなさまにはお見舞い申し上げます。昨日の「節分」、そして今日の「立春」と、一歩一歩確実に春に近づいているのかもしれませんが、春はまだまだ名ばかりでしょうね。







昨日は節分、各地で豆まきの行事がニュースで流れてきましたが、我家でも息子たちと真夜中に豆まきしました。今朝起きて玄関や勝手口に豆が散乱そして踏み潰され、大変なことになっていました。それにしても大量に撒いたものです。

この写真は、去年の二月の「和風総本家、七代目の豆助」、毎月送られてくるメルマガからダウンロードして、僕は壁紙として使っています。二月らしい光景でした。










先日送られてきた二月の写真は、

八代目の豆助が、手袋の上で気持ちよさそうに寝ていました。今年の場合、豆まきより寒い冬をイメージしたのかもしれません。それにしても気持ちよさそうに寝ています。



とても癒される豆助の画像は、TV大阪系「和風総本家」のホームページからメルマガ会員になると毎月送られてきます。カレンダー付きでとてもいいですよ。




今日は二十四節気の始まりの「立春」、暦の上ではこの日が寒さの頂点のようです。
豆助〜!そろそろ起きて散歩にでもでかけない?〜」って聴こえてきそうです。

 皆様おはようございます。

節分の朝の出雲地方は、8時現在の気温−0,8℃、昨日が特別寒かったので体感気温はやや緩めでしたが、路面は凍結や圧雪となりました。











場内も昨晩から凍結してバリバリ状態、朝早くから出勤した鎌田社員が正面玄関と社員通用口を
お湯で融雪してくれていました。こうして率先してやってくれる配慮が嬉しいですね。
滑って転んだら大変です。





滑るといえば昨日は、所属している松江の会社の専務さんが亡くなられ、松江の葬祭会館へ行きました。途中から路面はツルツルでノロノロ運転。早めに出たつもりでしたが、いつもなら30分で着くところ1時間以上掛かってしまいました。ほんと久し振りに僕の車はよく滑りました。

67歳で亡くなられたこの専務さんとは、出社したときにはよく話し、会合では一緒にお酒を飲んだものです。未熟な僕の良き相談相手になってもらいました。まだまだ奥様と人生やゴルフを楽しみたかったと思うと残念でなりません。ご冥福をお祈りしました。






僕も、専務さんの歳まであと10年か〜・・・と考えながら、
そんな想いでしんみりとお見送りした葬儀、告別式の間中、僕の前に座られた参列者の方、

祭壇の方がよく見えなくてとても気になってしまいました。まだそこまでのお歳ではないかなと思ったり、僕もあと何年したらこうなるのだろうかなと想像してしまいました。個人差はあると思います。
故人もさぞかし、「お前は何を考えているのだっ!」って、おっしゃっていることでしょうね。










そんな悲しいお別れの帰り道、

「秋鹿なぎさ公園道の駅」に立ち寄りました。ここまで道路は大渋滞、トイレ休憩の車は多かったものの公園は誰もいません。しばし、雪が降り続くモノクロの世界を写してみました。









































僕は、幼い頃から冬はこうした景色ばっかり見ていたので、こんな色の無い世界は嫌いでした。
しかし、この日の「津軽海峡冬景色」ならぬ「宍道湖雪景色」で、モノクロの世界も良いものだなと思いました。これも今日の出来事と、止まらない歳の進行からだと思われます。






この日は渋滞のため出発してから往復4時間の行程となりましたがっ・・・、僕はまだまだ序の口、
ドライバーの中島君の場合、荷物を降ろし終わり片道2時間半で帰れるところ、なんと5時間も掛かって8時前に会社に帰って来ました。無事帰ってくれて一安心。昨日はみんな、ほんとお疲れでした。
今日も安全運転でね。
 皆様おはようございます。
今朝の出雲地方は予報どおりの冷え込みとなりました。

朝8時現在マイナス3℃、この冬一番の寒さでしょうか。これから本格的に吹雪きそうです。
新年1月も足早に過ぎ、あっという間に2月に入りました。これが昔から当地で言われる「節分荒れ」のようです。




そんなこの頃、気になる事は腹回り。どうやら運動不足で太ってきたようです。
冬眠状態の1月、当然のことといえば当然の結果でしょうが、気をつけなければいけませんね。


僕のいつものフィールドでも、

昨年飛来してきたマガンたちも、みんな元気で越年したようです。よく観察すると丸々と太ってきましたね。たしか来たときはもっと痩せていたと思います。







それでも僕のように、

体が重くて中々飛べないマガンもいました(一番左端の彼です)。毎日ねぐらからここへやって来て、朝から晩まで食べていたのかもしれません。









それでもイザ!、という時には、

彼らは誰もが空を飛べます。当然、僕には空は飛べません。運動の差は歴然ですね。










飛ぶ時はよっぽどパワーがいるらしく、

思わず・・・出てしまったようです。 カメラの高速シャッターがその一瞬を捉えていました。
最初はレンズのホコリかなと思いましたが、右上の彼のお尻から次に出てくる気配があり確信しました。犯人はあんただよね・・・









お尻といえば、

扇子を広げたようなこの模様、とても綺麗な後ろ姿でした。
節分が過ぎたら、そろそろアクティブにレッツゴーといきたいものですね。

それにしても外は猛吹雪、今日も「寒っ」を何回言うことやら・・・